李朝

山月記のことをたまに思い出す。

 

欲望のあまり李朝は最後虎になってしまう。

 

なんだって思い出すのは

 

自分の中であの話の本質が自分は最初から何者かで合ったと感じるけど(虎になってから人だったのを思い出さないように)そんなことはないってことだ。

 

優しかった自分はいつしか変わり最初から本性的に俺なんて優しくなかったと感じたり、俺はこういう人間だと感じたり。

 

きっと、人は何度も(欲望からではなくても)虎になり人であったことを忘れ、また別の何かになり虎であったことを忘れる。

 

意外と最初からこうで変わらないもんだというものはないんじゃないか。

 

少し自由に生きれる感じがする。